説論 ) とに評価が分かれた。 る」のではなしに、軍国主義同調者として戦後公る」 ( 憲法前文 ) ことを決意した憲法の根本理念ま 8 解しかし、ともかく日本国憲法は、徹底した平和職追放をしていた者の追放を解除するなどして、でも否定することを意味するし、また、日本国憲 主義を骨子とし、一応「天皇」を象徴としての地かえってアメリカと共通の利益を求め再軍備を決法の根本理念とする民主主義や国民の人権保障を 編位には置いたが、国民を主権者とし、はじめて明意する政府の成立を見通してサンフランシスコ条最も尊重すべきものとする日本の政治構造を根本 確に政治組織として権力分立制を採用し、民主政約と安保条約を締結し、みずからは、占領軍を駐的に改変させるものとなる。 法治を通して、国民の「個人としての生命、自由及留車と名をかえただけで日本の基地にそのままそのために八〇年代以降の日本政府は、それま び幸福追求の権利」を、立法その他の国政の上で留った。 での高度経済成長を背景に″福祉国家論″を強調 憲 最大の尊重をする ( 一三条 ) という、平和主義と国その後、一九五三年、いわゆる協定締結し「国民の福祉を実現するための強力な政府」の 民主権主義と国民の基本的人権の保障の三つを政の際、当時の米副大統領ニクソン ( のちに大統領 ) 実現を国民に呼びかけながら、もつばら行政権力 治理念とした。 が来日「日本に戦争放棄の憲法をもたせたのはアへの権力集中を政治的に意図し、それを成功させ メリカにとって大きなミステークだった」と憲法てきた。一方、たとえば、戦前の紀元節 ( 二月一 四戦後日本の憲法状況 の改正を要請した。しかし、池田・ロヾ / ートソン一日 ) を建国記念日として国民の祝日に加え、明 ところでポッダム宣言の受諾から出発した戦後会談で「教育と広報とにより、愛国心と自衛のた治百年や昭和天皇の在位五〇年を国家的行事とし の日本は、占領体制から安保体制へと継続されるめの自発的精神が成長するような空気を助成するたり、また学習指導要領を改定して「日の丸・君 なかで、国際的関係の変動からの大きな影響を受ことに責任をもっ」よう日本政府は約束した。そが代」を国旗・国歌と規定して国民に強制したり けた。すなわち平和理念の日本国憲法 ( 九条 ) をアの後、機をみては再軍備すなわち自主防衛力の必した。そしてこれに反対するような労働連動など メリカの支持のもとにもちえたのは、第二次世界要論を政府は宣伝しだした。その頃は「日本は独に対しては行政的ないし刑事的抑圧を加えるなど 大戦後のアメリカが対アジア政策の拠点を蒋介石立したのだから、せめて自衛のための軍備ぐらいしてきた。また、そのような抑圧が裁判問題に 中国に求めたからであった。いわば、憲法九条をはもつべきだ」という、いわゆる " 戸締論。であつなっても、その裁判でも支持されるように、政府 含む日本国憲法は、当時のアメリカにとって日本た。そして警察予備隊が保安隊、さらには自衛隊は、みずからの任命権を利用して最高裁判所の裁 はどうでもいい存在、ないしは同じ資本主義国とと変り、着々と増強され、ついに、その費用の絶判官任命を配慮するなどして、いわゆる″司法の して将来アジアの経済市場を獲得する競争をしか対額では世界有数の軍隊にまで成長させた。 反動。化体制を固めてきた。その成果は、八〇年 ねない日本には軍備をもたせない「邪魔にならな ことに六〇年安保後それを増強した。それは代に定着した。 い存在」にしておこうとしていたためであった。「日本はアメリカの核の傘下にあったからこそ安かくして日本国憲法は、それが「国政の上で最 したがって新中国の誕生が、その後のアメリカの全が保障され、経済成長もとげられた。だから、大の尊重を必要とする」 ( 一三条 ) ものとしていた 対日占領政策に一八〇度の転換をもたらした。す安保を堅持し国力に応じた自衛力が必要」とい「私すなわち個人の人権保障よりも、「公」とし なわち「どうでもいい存在」ないし「邪魔にならう、いわゆる " 安保繁栄論。にもとづいてであっての国家・社会の公共的秩序の維持を優先する方 ない存在」から、日本を蒋介石中国に代わる「アた。かくして六〇年代の日本の自衛隊は、アメリ向へと運用されている。 ジア政策の拠点」として、アメリカにとって「協力の対アジア政策の後方防衛と日本国内の治安防そして九〇年代に入り、国連が世界各国におけ 力し合える関係の国」として必要となったからで衛との両面の責任を果たすようになった。 る平和維持のための活動を必要とする場合には、 ある。そして一九五〇年の朝鮮戦争の勃発後、まそして七〇年代においては、安保体制における日本も経済援助をするだけではなく人的にも国際 もなくアメリカは、ポッダム宣言を誠実に日本政アジア安定の主役をアメリカから日本が肩代りす貢献をする、というスローガンで、自衛隊を海外 府に実施させる占領軍の任務と責任をみずから放ることが目的とされるようになった。そうなれば派遣することを認める、いわゆる aæo 法 ( 国連 棄して、日本に今日の自衛隊の前身である警察予日本の自衛隊は、必然的に " 海外派兵。への方向平和協力法 ) が、世論が一一つに分れて対立した中 備隊を創設させた。そして、アメリカは、ポッダをよぎなくされる。また、そのための憲法改正論で、成立した。 ム宣言のいう「日本の戦争能力がうちくだかれ、が再び登場してくるようになった。しかしそれは 日本国民の自由に表明された意思にしたがい平和憲法九条のみならず「平和を愛する諸国民の公正 的傾向のある政府が樹立されてから占領を終結すと信義に信頼して、われらの安全と生存を保持す 憲法 ( 永井憲一 )
として、近代諸国に広く存在するようになったも第一一次世界大戦前の日本には、一八八九年 ( 明 治一三年 ) に制定された『大日本帝国憲法』 ( 通称 のである。 したがって、憲法について学ぶ場合には、その「明治憲法」 ) が存在した。この憲法は、形式的に 憲法編 ような憲法を単なる近代における法治国家の基本は立憲主義国家の基本法であった。しかも一九世 法であるという形式的な理解をするのではなし紀という " 近代″と呼ばれる歴史的時代に制定さ に、このような近代憲法のもっ各国の人権宣言書れたものであった。それで「大日本帝国憲法も近 一憲法の歴史的役割とその意義 としての歴史的役割とその意義について、まず認代憲法である。」ともいわれる。しかし、この憲法 は、右に述べたような近代憲法の特質を具備して 人類の歴史が、古い時代における国王や君主な識しておく必要がある。 いない。明治維新後の日本が、国内的には秩序の どの力による支配、いわゆる″人の支配″の時代 ニ近代憲法の特質 安定、対外的には国家の発展を最優先の政治目的 から、しだいに多数者の、正義にもとづく″法の フランスの人権宣言の第一六条には、近代憲法としたものであった。その内容は、当時のドイ 支配。の時代へと移行する中で、近代国家には、 いずれの国にも憲法がもたれるようになった。その特質を的確に表現している、次のような文言がツ・プロイセン帝国憲法を模倣した君主主権憲法 の先駆的役割を果たしたのが、アメリカが独立すある。すなわち「人民の権利の保障がなされず、である。天皇を神聖不可侵のものとし「国ノ元首 る際の独立宣言の趣旨を将来の政治原則として保権力分立の決められざる社会は、すべて憲法をもニシテ統治権ヲ総攬ス」 ( 四条 ) という地位に置い 持しようとしてつくられた各州憲法 ( 一七七六年 ) つものではない」。この文言は、その後の近代諸国た。したがって、権力分立制も、これを制度とし て採用しているかのようにみせかけたが、その実 とアメリカ合衆国憲法 ( 一七八九年 ) であり、またの多くの憲法に大きな影響を与えた。 フランス革命 ( 一七八九年 ) 後の人権宣言の趣旨を ( 現在の世界各国は、イギリスを唯一の例外とし質はなく、また国民 ( 「臣民ーと呼ばれた ) の自由 恒久的に確立すべくつくられたフランス憲法 ( 「て、すべての国がアメリカやフランスの先例になや権利も、天皇の恩恵から与えられたものとの思 七九一年Ⅱ立憲君主制、一七九三年Ⅱ共和制 ) であつらった成文の憲法典をもっている。それを成文憲想にもとづいて、きわめて僅かなものが、すべて た。これらの憲法は、いずれも国民の自由および法 constitution と呼び、イギリスの場合を " 不文「法律ノ範囲内」という制限内で規定されていた 権利の保障を将来の国の政治原則として確認しょ憲法の国。と呼ぶ。しかし、その世界各国のもつに過ぎなかった。そのために、この憲法のもとで うとするものであった。 憲法典が、必ずしも同一・同文のものではない。は、天皇の権威にかくれた軍部や一部の為政者が いい、その国の歴史的・社会的諸事情によって、憲法典独裁的な政治を行い、ついには太平洋戦争とその このような近代国家を立憲主義の国家と そこにもたれた憲法を近代憲法という。そのようの規定のしかたや内容は、それぞれ異なる。ただ悲惨な敗戦に日本を導いていった。 な近代憲法は、右のような、その生い立ちが物し、次の二点は、どの国の憲法典にも共通に規定かくして、その敗戦を契機として、一つは、そ 語っているように、旧来の専制的な支配体制に対されている。つまり、近代諸国の憲法典の " 共通うした過去への強い国民の反省にもとづいて、一 して、国民がみずからの人間としての自由や権の要素。として「近代憲法の特質」といわれるもつは、敗戦国としてポッダム宣言を誠実に履行す る責務にもとづいて、一九四六年 ( 昭和二一年 ) 利、つまり国民の″基本的人権″を承認させ、そのとなっている。 の基本的人権を侵害してはならないものとして将その一つは、国民の自由と権利を基本的人権一一月三日に、新しい日本の「平和で民主的な文 来に向かって約束させた「証文」であり、いわば、 Fundamental Human Rights として承認し、保化国家を建設する」という政治目標を掲げ、国民 その国の人権宣言としての意義をもっ歴史的性格障していること、もう一つは、その国民の基本的の基本的人権の保障を最大の政治課題とすること 説のものである。かくして近代憲法は、国民がみず人権を保障するための政治組織として、権力分立を宣言した『日本国憲法』を制定した。 からの手で、安全に幸福を追求する生活にいそし制を採用し、それに何らかの国民参政の手段を用この日本国憲法の制定には、あとから、一つは める国をつくりあげるための民主主義と国民主権意していることである。要約すれば、近代憲法の「それは終戦当時、アメリカの占領軍から " 押し付 編の政治的基盤と地位を確立した「勝利の記念品」特質とは、国民の基本的人権を保障し、権力分立けられたもの。である」という評価 ( 押し付け論 ) と、一つは「アメリカの日本への非武装平和化と、 であった。以来、憲法は国民の基本的人権の保障制の政治構造を採用していることである。 法 日本政府からの″国体護持論。との、当時の政治 をその国の政治の最も大きな目的とする″国の政 三日本国憲法の制定と理念 的妥協の産物であった」という評価 ( 政治的妥協 7 治原則″として、近代法治国家の″国の基本法″ 憲 憲法
のよう 憲法の各条の中をさらに分けて、 で示しました。活用いただければ幸いです。 6 方 に項ごとに、《一 ) 《一 l) のように号に分けて一小③社会保障関係の法令は比較的紙幅を必要とす す場合があります。 るものが多く、また現実に保険関係等の給付 本書の使い方 の内容は下位の法令をまたなければ充分に明 五、法令の抄録について 書 らかになりません。これらのすべてを、法令 抄録した法令については、それぞれ担当分野 の条文を示して明らかにすることは本書のよ 本本書は、はしがきに記したような意図で編修さ の編修委員が、本書の収容能力の制限の中で、 うな小冊子ではとうてい不可能です。読者の れています。したがって、約束事の多い記載方法 主として学習上の便宜を考慮しながら抄録を行 便宜をはかって、これら給付の内容をダイ は、努めてさけました。しかし、次のような点に いました。 ジェストしたのが「社会保障給付概要」です。 ついて御留意の上、お使い下さい この場合抄録を行ったことによりはずされた ④主要な法令中にあらわれる法律用語をとり出 一、法令の題名の上の黒丸印 ( ・ ) は全条文を収条文については、特に省略を示す注記をしてあ し、関係する法令のおもな条数を示しまし りません。あらかじめ題名のところで抄録法令 録したもの、白丸印 ( 〇 ) は条文を抄録したも た。今後さらに充実させて、より使いよい の、四角印 ( ロ ) は資料であることを示します。であることを確認してください。 「総合事項索引」に作りあげるつもりです。 六、目次の使い方 ⑤司法の民主化がさけばれております。一方で ニ、法令題名の次に、たとえば 必要な法令を検索するために、五十音順の法最高裁判所も、国民の司法参加として、陪審 ( 平成六年一月一日 ) 令目次 ( 前見返し ) と総目次 ( 後見返し ) を付制・参審制の調査を開始した旨新聞に報じら 〔平六・三・三施行〕 しました。法令目次の中では「日本国憲法」を れております。大正一一一年に公布され、大戦 とあれば、平成六年一月一日に公布された法律「憲法ーでも、「私的独占の禁止及び公正取引の末期に効力を停止された、「陪審法ーを抄録な 第一号であって、その施行が同年の三月三日で確保に関する法律ーを「独占禁止法」でもひけ一がら、資料として掲げます。 あることを示します。 るようにしてあります。また、総目次の中で、 この分野にありそうだが、実は他の分野に収載 三、条文中の注記について してあるといった法律を△印を上につけて入れ 条文の中に「〕や〔〕でかこんだ文字があ てあります。 ( 例民法編で△製造物責任法・ : りますが、これは本来の法文ではなく、見出し 三八一ページとあれば製造物責任法は経済法編 や読解の補助のために編修部で付したもので の三八一ページに収められていることを知るこ す。項番号の内、②③④と丸でかこんだ数字も とができます ) これらの目次を活用して必要な 同様に編修部で付したものですが第一項に①は 法律を検索して下さい 付してありません。特に抄録した法令の条文中 に①が入れてあるものがあります。これは、そ七、収録法令の現在日 の条文には第一項以外があるが、省略したこと法令は平成六年八月三一日現在で収録してあ を示しています。 ります。 四、日本国憲法の参照条文について 八、付録について 参照条文の ( ) の中は、その条文に関わる①明治初年から昭和一一〇年ころに至る間の法令 事項を示し、その下に参照すべき法令名の略称 には読みにくい法令用語が多く見受けられま に続いて条数・項数・号数を順に示してありますが、その中から難しいと思われる語を選ん す。法令名がついていないものは、日本国憲法 で巻末におき、その一般的な読み方を示しま した。 の各条です。ただし、たとえば国会一〇三・一 〇四とあれば国会法の一〇三条と同じく国会法②法学の学習上必要と思われる統計数字等を、 の一〇四条を示します。 最新にして、かっ典拠の明らかなものを選ん ①②